同じ場所を
2015年05月09日
犬の散歩にはほとんど同じ道を歩く。外を歩くのがそれほど好きでもないらしい犬は、一周してくればいいんでしょとばかりにスタスタと生真面目にいつもの道を行き、たまには、と違う道を選ぼうとする私の、ほんの少しの遠回りもいやがってしゃがみ込む。
最初の大通りを渡ってアパートの裏側を行く。庭先に金柑の大きな木のある家にはたぶん、老夫婦がふたりで住んでいる。さっぱりとした庭の塀のそばに赤い花をつけるバラが植えてあり、それもまた背が高く、その家がもう何年も前からそこにあることがうかがえる。
「ここに駐車しないでください」と、100均に売っている小さな札がフェンスにふたつ下がっている。いつだったかちょうどその家の婦人がその札を塀に取り付けているところに通りかかり、ここに駐車されちゃうと困るのよねと、言い訳をするように話しかけられて返事に困ったのを思い出す。
金柑の木に黄色い実がぎっしりとなっているのを見上げながら過ぎる。その家の隣のアパートの入り口にはヘンテコな関西弁をしゃべる自動販売機がある。うっかり近づくと、関東人の私が聞いても違和感のあるイントネーションの大声で「まいどー」と言われるから、慎重に離れて通る。まだそんな自販機があるんだねえと、笑って話せた数年前のことを思い出す。
通るたびに、同じことを思い出す。何度でも思い出す。
それでなにということもなく、ただ思い出す。ほかのことで上書きされない限り、そのポイントの記憶はそれひとつであり続ける。なんだか、マーキングしている犬みたいだと思う。
最初に渡った大通りを、別の場所でまた渡って戻ると、向こうから、前後に小さな子供を乗せた自転車が近づいて来た。「あ、わんわんがいる。わんわんおはよう!」と、先頭に座っている女の子が大きな声で言った。明るい小花柄のフードのついた服を着て、そのフードをすっぽりかぶった小さな女の子。真っ赤なほっぺをぷっくりと膨らませた可愛い笑顔で私の顔を見ている。お母さんのうふふふと笑う声も聞こえ、私も思わず笑顔になる。だってもう、夕方だよ。
Posted by 蒼涼的苦澀 at
00:12
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